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グレゴリウスI世

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グレゴリウスI世

グレゴリウスI世

グレゴリウスI世 (Gregorius I, 540年?〜604年3月12日)- ローマ教皇 -

グレゴリウスI世

グレゴリウスI世

※この画像はパブリックドメインです。

大ラテン教父の一人。ローマ・カトリックでは聖人、教会博士であり、祝日は9月3日。
東方正教会でも聖人で記憶日は3月25日です。
問答者グレゴリウス、大聖グレゴリウスとも呼ばれています。

ローマの元老院議員の家柄に生まれたグレゴリウスさんは、哲学や法学などを学び政治家として活動していました。
既にローマ帝国は滅亡していましたが、ローマ市の自治を担う執政官まで勤めたそうです。
しかしローマ市長官であったお父さんが修道士になったことに影響され、家を改装し先祖伝来の広大な領地も全て修道会に寄贈して、祈りの生活に入っていったそうです。
やがて修道院に入り、教皇ペラギウスII世のもとで助祭を務め、またコンスタンティノープルに派遣されて6年という任期をしっかり勤め上げました。

彼はキリスト教の教義を徹底的に学び、またその人格のために、教会の要職を次々と歴任していきました。
しかし彼はバラバラだった聖書の解釈を統一させ、世に広めたいということを純粋に考えていたそうです。

しかし教皇ペラギウスII世が没し、590年に半ば無理やり教皇に選出されると決意を固め、典礼の整備や教会の改革に意欲的に取り組み、教会のために尽力しました。

まずイタリアを脅かしていたロンバルド族に対し、外交でそれを食い止めるという政治的業績を残しました。

また当時のヨーロッパはゲルマン民族の大移動によって混乱が続いていましたが、そのゲルマン民族に対してキリスト教を広め、彼らの宗教観を一新させました。
そうすることで乱れたヨーロッパを精神的な側面から立て直し、キリスト教的道徳観で安定と平和をもたらしました。

596年には40名もの宣教師たちをイギリスに派遣して、その地のアングロ・サクソンの人たちを大勢キリスト教徒にしたのです。

こうして西方、東方ともに教皇の権威を高めることに成功したグレゴリウスI世は「大教皇」とも呼ばれるほどになりました。
「大教皇」の尊称で呼ばれるのは、歴代264名の教皇の中でも3名しかいないそうです。
グレゴリウスI世は、それほどの偉業を残した方でした。

また聖ベネディクトゥスの伝記や数多くの書簡などの著作物を残すほど多才だったそうです。

さてグレゴリオ聖歌は彼の名に由来し、グレゴリウスI世が編纂し、作曲も数多くしたと広く信じられてきました。
しかし今日の研究によると、9世紀から10世紀にかけてフランク人の間で発展し伝承されてきたものを、カロリング朝の時代にローマの聖歌と統合されて生まれたとされています。

グレゴリウスI世

グレゴリウスI世

※この画像はパブリックドメインです。

この聖歌にグレゴリウスの名前が冠せられた由来はいくつかあって、

  • フランク王国にいたイングランドの聖職者たちが、アングロ=サクソン教会の創立者であるグレゴリウス1世を讃えたものという説
  • 当時の教皇グレゴリウス2世(715-731 在位)を讃えたものが、後により有名なグレゴリウスI世に関するある伝説が生まれたためとする説

などが知られています。

後者の"ある伝説"というのは、「グレゴリウスは聖霊の象徴である鳩に霊感をうけて聖歌を書き取った」というもので、グレゴリオ聖歌に神聖さと権威を与えることができた、ということらしいです。


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