バルトロメオ・クリストフォリ - 横浜市緑区のピアノ教室 | 明るく楽しい♪福田音楽教室♪ -
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「りえ先生の楽しいピアノ」に登場した、音楽の歴史に名を残した偉大な人物たちをご紹介しているページです。
バルトロメオ・クリストフォリ (Bartolomeo Cristofori 1655年〜1731年)
バルトロメオ・クリストフォリ ※この画像はパブリックドメインです。 ピアノを発明したことで有名なバルトロメオ・クリストフォリさんは、1655年5月4日にヴェネツィア共和国のパドヴァで生まれました。
出生日までわかっているのに、若い頃の記録は殆ど残っていません。
33歳になった1688年、クリストフォリさんはフェルディナンド・デ・メディチ大公子(1663年-1713年)に雇われます。
フェルディナンド・デ・メディチ大公子 ※この画像はパブリックドメインです。 そんなフェルディナンド大公子が、なぜクリストフォリさんを雇ったのかは定かではありません。 自身の楽器コレクションの管理技術者を探していたそうですが、当時のフィレンツェにはたくさん有能な技術者がいたにも関わらず、かなりの高給でクリストフォリさんを迎えていることなどから、楽器の開発者として雇ったと考えられています。 またフェルディナンド大公子は機械好きでもあり、クリストフォリさんの発明品にも関心があったとも考えられています。
ともかく、かのメディチ家に雇われたクリストフォリさん。 クリストフォリさんはピアノを発明する前に、2種類の鍵盤楽器を発明しています。 1577年のスピネット。 ※この画像はパブリックドメインです。
ひとつは「スピネットーネ」と呼ばれる大型の「スピネット」です。 もうひとつはチェンバロの一種で、最も長い弦が中央に配置される「オーバル・スピネット」です。 この他にも、通常の楽器もいくつか製作しています。
クリストフォリさんのピアノに関する信頼できる最古の記録は、1700年のフェルディナンド大公子の所蔵楽器目録の中に登場してきます。 『1台のバルトロメオ・クリストフォリによるアルピチェンバロ、新規発明による、優しくまた大きく響くもの、ユニゾンに調律した2レジスター、ローズなしの杉板の響板......』 と書かれています。
「アルピチェンバロ」というのは、クリストフォリさんが自分の発明した楽器に付けた名前だと考えられています。 一般的にピアノの誕生は1709年だとされていますが、上記の通り1700年には記録として残っていますので、実際はさらに数年前には誕生していたのではないかと考えられます。
1709年誕生だとされるのは、この年にスキピオーネ・マッフェイさんという人が雑誌刊行のための支援を求めてフェルディナンド大公子を尋ねてきた時、偶然にクリストフォリさんの新型チェンバロに目を留めたことに由来するようです。 1713年、保護者でもあり雇い主でもあるフェルディナンド大公子が50歳で亡くなった後も、クリストフォリさんはメディチ家に仕えましたが、その後メディチ家が衰退すると、他の雇われ職人たちと同じく、自分の楽器を売りさばいていかざるを得なくなりました。 晩年にはジョヴァンニ・フェリーニという、その後著名なピアノ製作者となる助手を得、亡くなる間際までピアノを作り続けました。 また1739年に最初のアップライト・ピアノを作ったという、P・ドメニコ・デル・メラという助手もいたそうです。 そして1731年1月27日、クリストフォリさんは76歳で天に召されていきました。
クリストフォリさんが生涯で何台のピアノを作ったのかは分かっていません。
・1720年製:ニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵。 この他にもオーバル・スピネットが2台、スピネットーネが1台、チェンバロ3台、詳細不明の楽器が1台現存しています。 このようにピアノに携わる人間にとって、生みの親と言ってもいいクリストフォリさんですが、その後名声が奪われます。 18世紀後半、ピアノはクリストフォリさんの発明ではなく、改良を加えて新しいピアノを作った、ドイツのオルガン製作者ゴットフリート・ジルバーマン(1683年-1753年)さんの発明だと思われていたのです。 この誤解が解け、クリストフォリさんの名誉が回復されたのは、何と19世紀も後半になってからなのでした。
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