バルトロメオ・クリストフォリ - 横浜市緑区のピアノ教室 | 明るく楽しい♪福田音楽教室♪ -

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バルトロメオ・クリストフォリ

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バルトロメオ・クリストフォリ

バルトロメオ・クリストフォリ

バルトロメオ・クリストフォリ (Bartolomeo Cristofori 1655年〜1731年)

バルトロメオ・クリストフォリ

バルトロメオ・クリストフォリ
1726年に描かれた唯一の肖像画。第二次大戦で失われ、写真のみ現存している。

※この画像はパブリックドメインです。

ピアノを発明したことで有名なバルトロメオ・クリストフォリさんは、1655年5月4日にヴェネツィア共和国のパドヴァで生まれました。

出生日までわかっているのに、若い頃の記録は殆ど残っていません。
1680年の国勢調査の記録の中に、高名なヴァイオリン製作者ニコロ・アマティ(1596年-1684年)さんの弟子の中に「クリストファロ・バルトロメイ」という13歳の少年の名前が出てくるそうですが、この頃既に25歳のはずなので、これは別人だと考えられています。

33歳になった1688年、クリストフォリさんはフェルディナンド・デ・メディチ大公子(1663年-1713年)に雇われます。
音楽好きで知られるフェルディナンド大公子は、「音楽の母」とも言われる偉大な作曲家ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685年-1759年)、オペラのナポリ楽派の始祖である作曲家アレッサンドロ・スカルラッティ(1660年-1725年)、「クリスマス協奏曲」が有名なヴァイオリニストでもある作曲家アルカンジェロ・コレッリ(1653年-1713年)、そして皆さんご存知のアントニオ・ヴィヴァルディ(1678年-1741年)など、様々な音楽家を保護したそうです。

フェルディナンド・デ・メディチ大公子

フェルディナンド・デ・メディチ大公子
Niccolo` Cassani画、ウフィツィ美術館蔵

※この画像はパブリックドメインです。

そんなフェルディナンド大公子が、なぜクリストフォリさんを雇ったのかは定かではありません。

自身の楽器コレクションの管理技術者を探していたそうですが、当時のフィレンツェにはたくさん有能な技術者がいたにも関わらず、かなりの高給でクリストフォリさんを迎えていることなどから、楽器の開発者として雇ったと考えられています。

またフェルディナンド大公子は機械好きでもあり、クリストフォリさんの発明品にも関心があったとも考えられています。

ともかく、かのメディチ家に雇われたクリストフォリさん。
最初は大部屋みたいな工房で、他の大勢の技術者たちと一緒に仕事をしていたのですが、あまりの騒音に耐え切れず、フェルディナンド大公子に不満を伝えます。
そしてフェルディナンド大公子もそれに応え、専用の工房を与えたと言いますから、よっぽどクリストフォリさんのことが気に入っていたのでしょうね。

クリストフォリさんはピアノを発明する前に、2種類の鍵盤楽器を発明しています。

スピネット

1577年のスピネット。

※この画像はパブリックドメインです。

ひとつは「スピネットーネ」と呼ばれる大型の「スピネット」です。
「スピネット」とは、16世紀から18世紀に西ヨーロッパで流行した家庭用の小型鍵盤楽器です。
王侯貴族から一般庶民まで愛用し、演奏者の自宅での練習楽器としても重宝されたそうです。
その大型版である「スピネットーネ」は音色が豊かで響きも大きく、ギュウギュウ詰めのオーケストラピットに収めるためだったと考えられています。

もうひとつはチェンバロの一種で、最も長い弦が中央に配置される「オーバル・スピネット」です。

この他にも、通常の楽器もいくつか製作しています。

クリストフォリさんのピアノに関する信頼できる最古の記録は、1700年のフェルディナンド大公子の所蔵楽器目録の中に登場してきます。
そこには、

『1台のバルトロメオ・クリストフォリによるアルピチェンバロ、新規発明による、優しくまた大きく響くもの、ユニゾンに調律した2レジスター、ローズなしの杉板の響板......』

と書かれています。

「アルピチェンバロ」というのは、クリストフォリさんが自分の発明した楽器に付けた名前だと考えられています。
でも長い歳月の間に、太字部分「優しくまた大きく響くもの(原語:ch fa' il piano, e il forte,)」が省略されていき、現在の「ピアノ」になっていきました。

一般的にピアノの誕生は1709年だとされていますが、上記の通り1700年には記録として残っていますので、実際はさらに数年前には誕生していたのではないかと考えられます。

1709年誕生だとされるのは、この年にスキピオーネ・マッフェイさんという人が雑誌刊行のための支援を求めてフェルディナンド大公子を尋ねてきた時、偶然にクリストフォリさんの新型チェンバロに目を留めたことに由来するようです。
スキピオーネ・マッフェイさんは1711年発行の雑誌に、図面付でこのピアノを紹介しています。 またその雑誌によると、クリストフォリさんは1711年に3台のピアノを製作し、1台はメディチ家を通じローマのオットポーニ枢機卿へ贈られ、もう2台はフィレンツェで普通に市販されたそうです。

1713年、保護者でもあり雇い主でもあるフェルディナンド大公子が50歳で亡くなった後も、クリストフォリさんはメディチ家に仕えましたが、その後メディチ家が衰退すると、他の雇われ職人たちと同じく、自分の楽器を売りさばいていかざるを得なくなりました。

晩年にはジョヴァンニ・フェリーニという、その後著名なピアノ製作者となる助手を得、亡くなる間際までピアノを作り続けました。

また1739年に最初のアップライト・ピアノを作ったという、P・ドメニコ・デル・メラという助手もいたそうです。

そして1731年1月27日、クリストフォリさんは76歳で天に召されていきました。

クリストフォリさんが生涯で何台のピアノを作ったのかは分かっていません。
しかし現在でも3台のピアノが現存しています。

・1720年製:ニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵。
 >メトロポリタン美術館公式サイト クリストフォリのピアノのページ(英語)
・1722年製:ローマ・イタリア国立楽器博物館所蔵。
・1726年製:ライプツィヒ大学楽器博物館所蔵。

この他にもオーバル・スピネットが2台、スピネットーネが1台、チェンバロ3台、詳細不明の楽器が1台現存しています。

このようにピアノに携わる人間にとって、生みの親と言ってもいいクリストフォリさんですが、その後名声が奪われます。

18世紀後半、ピアノはクリストフォリさんの発明ではなく、改良を加えて新しいピアノを作った、ドイツのオルガン製作者ゴットフリート・ジルバーマン(1683年-1753年)さんの発明だと思われていたのです。

この誤解が解け、クリストフォリさんの名誉が回復されたのは、何と19世紀も後半になってからなのでした。

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