ゴットフリート・ジルバーマン - 横浜市緑区のピアノ教室 | 明るく楽しい♪福田音楽教室♪ -

〜 by FUKUON 〜


ゴットフリート・ジルバーマン

りえ先生の楽しいピアノ」に登場した、音楽の歴史に名を残した偉大な人物たちをご紹介しているページです。

♪ りえ先生の楽しいピアノバックナンバー ♪はこちら

ゴットフリート・ジルバーマン

ゴットフリート・ジルバーマン

ゴットフリート・ジルバーマン (Gottfried Silbermann 1683年〜1753年)

18世紀後半までピアノを発明したと思われていたのはバルトロメオ・クリストフォリさんではなく、このゴットフリート・ジルバーマンさんでした。

ジルバーマンさんは、1683年1月14日ドイツ東部エルツ山地の小さな村クラインボプリッチュで、大工ミヒャエル・ジルバーマンの子として生まれました。
エルツ山地は現在のドイツとチェコの国境線となっていて、胡桃割り人形などの木工品で有名な山地です。 クラインボプリッチュは、ザイダ(Sayda)の北東の町フラウエンシュタイン北部の小さな集落です。

大工の子として生まれたジルバーマンさんは、玩具や本作りの職人さんのところに弟子入りさせられた後、1701年頃に5つ上のお兄さんアンドレアス・ジルバーマンさん(1678年-1734年)のことろに弟子入りします。

アンドレアス・ジルバーマンさんはフランス北東部ライン川左岸に位置する都市ストラスブールでオルガン製作の工房を開いていました。
ここでオルガン作りの修行に励み、1703年に兄弟一緒に聖マルガリータ修道院のオルガンを製作しています。

1710年に修行を終えお兄さんのもとを去ったジルバーマンさんは、故郷に近いザクセン公国ドレスデンに戻って行きます。

聖マリーエン大聖堂の大オルガン

聖マリーエン大聖堂の大オルガン

※この画像はSchwittus氏によってパブリックドメインの宣言がなされています。

生まれ故郷フラウエンシュタインでの小さなオルガン製作がザクセンでの最初の仕事でしたが、翌年聖トーマス教会のオルガン奏者であり音楽監督(トーマスカントル)であったヨハン・クーナウさん(1660年-1722年)の推薦で、フライベルクの聖マリーエン大聖堂(外部リンク)の大オルガンの製作者に選ばれました。

ジルバーマンさんは質の良い木材や金属が手に入りやすいフライベルクに引越し、1714年大オルガンを完成させます。

1723年にザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世(強健王)(1670年-1733年)から、宮廷のオルガン職人に任命されると、各地からたくさんの依頼が寄せられるようになりました。
しかしザクセン以外からの依頼は断っていたそうです。

Gottfried Silbermann St. Georgenkirche Tour, Roetha Germany
by YouTube

※↑聖ゲオルグ教会のゴットフリート・ジルバーマンさんのパイプオルガンです。

1725年、バルトロメオ・クリストフォリさんのピアノフォルテを紹介したスキピオーネ・マッフェイさんの論文がドイツ語に翻訳されて雑誌に掲載されました。 ジルバーマンさんはマッフェイさんの書いたこの論文に触発され、自らもピアノ作りをはじめます。

1736年頃、ジルバーマンさんは自作のピアノフォルテをヨハン・ゼバスティアン・バッハさん(1685年-1750年 大バッハ)に試弾してもらい意見を求めたところ、「音の響きはいいが、高音域が貧弱で、タッチが重く弾きづらい!」と批判されたそうです。

シルバーマンさんも、ちょっとカチン!ときたのかもしれません。
その後改良を重ねていき、性能を向上させていきます。

一説によると、当初は雑誌に掲載された記事と図解のみを頼りにピアノを作っていたそうですが、どこかでクリストフォリさんのピアノに実際に触れる機会があったのではないか、とのことです。

そして1747年、再度バッハさんがシルバーマンさんのピアノに触れたところ、今度はいい評価をもらったそうです。

さらにその年の5月、バッハさんはプロイセン王フリードリッヒ大王(1712年-1786年)から与えられた主題による即興演奏を行ったのですが、この時弾いたピアノはジルバーマンさんのものだったそうです。
ちなみに、この即興演奏を後でまとめたものが『音楽の捧げもの』です。

1749年に大きな病気を患った以降の晩年の作品は、ジルバーマンさんの弟子たちの手によって製作されました。

ジルバーマンさんの工房からは、たくさんのお弟子さんたちが巣立って行き、ドイツでのオルガン作りに大きな影響を与えていきます。

そしてこのお弟子さんたちの中から、ピアノの“2系統”が生まれていきます。
ひとつは「ドイツ式(ウィーン式)」で、もうひとつは「イギリス式」です。

「ドイツ式(ウィーン式)」は、ジルバーマンさんの弟子であったヨハン・アンドレス・シュタインさんが「ウィーン・アクション」と呼ばれる構造を作り、さらにシュタインさんの娘ナネッテ・シュトライヒャーさんとその夫ヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーさんによって受け継がれ、広まっていきます。
あのモーツァルト(1756年-1791年)さんも「ウィーン・アクション」のピアノをこよなく愛し、シュトライヒャー・ピアノも持っていたそうです。

「イギリス式」は、プロイセンとオーストリアの間に勃発した7年戦争(1756年-1763年)を逃れるため、イギリスに渡ったジルバーマンさんの12人のお弟子さんたちの筆頭格だったヨハン・クリストフ・ツンペさんがジルバーマンさんのピアノを改良し、「イギリス式シングルアクション」のスクエアピアノを発明したことで人気を得て広がっていったものです。

「ドイツ式(ウィーン式)」は「イギリス式」ほど普及せず、20世紀初頭に姿を消してしまいました。

ゴットフリート・ジルバーマン

ゴットフリート・ジルバーマン

※この画像はパブリックドメインです。

ジルバーマンさんのオルガンは「コンパクトサイズ」「フラットな外観」「質の良い木材、金属が使われている」「はっきり明瞭な音色」などの特徴があり、師匠でもありお兄さんでもあったアンドレアスさんのオルガンも同じ特徴があったことから、『ジルバーマン・オルガン』と呼ばれています。

ジルバーマンさんは、その生涯で50基のオルガンを作ったそうで、今も現存するものも30基以上はあるようなので、どこかで目にする機会もあるかもしれません。

1753年8月4日、オルガン作りに情熱を燃やし生涯を捧げたゴットフリート・ジルバーマンさんは、ドレスデンでその職人人生を静かに閉じたのでした。

* * * * * *

【参考】
Gottfried-Silbermann協会(外部サイト)

関連文書
一覧に戻る

▲ページTOPへ▲

▲ページTOPへ▲